若いダンサーさんからの質問2 No.2  「プロとしての仕事が取れるまでの経緯」

Alte Brücke, Heidelberg Germany

写真:アルテ ブリユッケ、ハイデルベルク、ドイツ

質問2: プロとしての仕事が取れるまでの経緯

答え: 仕事が取れてもビザがおりなかったので

英国を去って欧州へ

 

その頃は私自身を含め

私が留学後に

海外でプロとして踊り

その後40年も日本を離れて

活動する将来になるなんて

微塵も思っていませんでした。

色々とありましたが

ロンドンの学校へは

1年しか通いませんでした。

先生方にオーディションを

受けなさいと

背中を押され

「いやいや…無理でしょ」

と半分冗談かと思いつつ

まぁでもせっかくだし…と。

今はなき

ロンドン・シティ・バレエと

イングリッシュ・ナショナル・バレエ

でオーディションを受け

思いがけずコールドバレエ契約の

オファーを受けた…のですが

ビザが降りずに断念。

(当時は今よりも

ビザの収得が複雑でした)

最高に嬉しかった後に

撃沈しましたが

再度先生方のお勧めで

日本人ならば

ドイツ

スイス

オランダ

オーストラリア

ベルギー

辺りの国々がビザの収得が

さほど難しくないはず

と言われ

なんだかロンドンでの

オーディション

受かってたし

続けてみる…かなぁ

となりました。

1ヶ月分の

電車のチケット

ユーレイルパスと

トーマスクック

の赤い時刻表

(知っている人少なそう!)

を購入して

いざ欧州へ

安価なフェリーで移動。

最初のオーディションは

スイスのベルンへ。

次はドイツの

デュッセルドルフ。

どちらからもお仕事の

オファーを頂けてしまい

初めから思いがけない展開。

ただデュッセルドルフは

「今すぐスタート」が条件。

できれば来週と言われて

インターネットもない世の中で

バレエ団がどうとか

ドイツで踊る事がどうとか

調べる術も

時間もなく…。

迷いましたが

自分の口からは

「Yes」

が出ていました。

急いでロンドンへ戻り

借りていたお部屋を

片付けて契約解除して

ロンドンを去りました。

まだまだ怪しかった

私の英語能力どころではない

正真正銘

全くわからないドイツ語。

雰囲気もかなり違う…。

自分をどう言う状況に

放り込んだのか

当然わからず…。

バレエ団の

レパートリーさえ知らずに

とりあえず…引っ越し。

気がついたら

バレエ団でリハーサルしてた…。

という経緯でした!

全く予想外のドタバタ劇。

続きは…

質問3: コンテンポラリーへ移行したきっかけ

です。

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